西川甚五郎本店史料館

 西川では、初代西川仁右衛門が19歳の時、蚊帳などの生活必需品の行商を始めた1566年を創業の年と定めています。
そして1587年、近江国八幡町(現 滋賀県近江八幡市)に当時の屋号「山形屋」として店を開き西川繁栄の礎を築きました。その後、近江商人として「売り手よし 買い手よし 世間よし」の三方よしの理念を具現化することで、発展を続けてまいりました。
初代から12代目までがこの地に暮らし、西川甚五郎本店として西川の歴史を今に伝えています。
「西川甚五郎本店史料館」は西川甚五郎本店敷地内に、西川文化財団が保存・管理してきた西川家の歴史を伝える貴重な古文書や古物などを展示し、450年以上にも及ぶ歩みを紹介することにより、近江商人を広く知っていただくことを目的として、2021(令和3)年10月14日に開館いたしました。

  ■所在地    滋賀県近江八幡市大杉町14番地
  ■開館時間   10:00~17:00(閉館日 毎週火曜日)
  ■入館料    無料

【展示構成】
第1~3章の展示と、随時展示品を更新する貴重史料コーナーにて構成

第1章 近江商人としての西川家

 近江商人とは、江戸時代から明治時代にかけて本宅のある近江国(現 滋賀県)に本店をおき、全国各地に出店を構え経営活動した商人を指します。西川家は450年以上にわたり経営活動を継続し、地域との関わりを重視してきたこと、信仰への関心が深いこと、確固たる経営理念を持っていること、伝統を重視しながらも革新的な活動も行っていることなど、近江商人としての特徴をもっています。創業から江戸に出店するまでの時期を対象にその活動を紹介しています。

   ■江戸日本橋通一丁目八幡出店櫛比図(しっぴず) 個人蔵 江戸時代
   江戸時代、日本橋という交通の要所に、八幡の商家が出店を構えていたことが描かれています。
   日本橋を渡ったところが西川甚五郎家(山形屋)です。そこから、伴荘右衛門家、伴伝兵衛家新店、
   世継喜右衛門家、伴伝兵衛家元店と連なります。のれんには「あふみおもて(近江表)」「ならかや
   (奈良蚊帳)」など、取扱商品(畳表や蚊帳)が書かれています。
 

第2章 「創造」と「革新」のあゆみ


 「絶えず変化することで伝統を造っていく」これは14代目西川甚五郎の言葉です。近江商人は伝統を重んじながら、商いに関する柔軟性を持ち合わせていることが特徴です。西川家の歴史は、時代のニーズに応じて新たな価値を創造し、経営を革新することで伝統を造っていくという営みの繰り返しであったといえるでしょう。数百年の歴史のなかで特に注目すべき5つの「変化」を取りあげて、その時代の当主の考え方とともに紹介しています。

   ■「萌黄蚊帳」プロジェクションマッピング
   2代目甚五郎は蚊帳の改良につとめ、「萌黄蚊帳」を創案し、西川家を「蚊帳の西川」として発展させました。
   江戸へ向かう箱根の山越え中、木陰で休息していたところ、若葉に包まれ夢を見るような心地にいたり、蚊帳を
   萌黄色に染めることを思いついたといわれています。この萌黄蚊帳創案のエピソードをプロジェクションマッピ
   ングでご覧いただけます。

第3章 「売り手よし 買い手よし 世間よし」 -地域・従業員との絆-


 1587(天正15)年に西川家初代が近江八幡に居を構えて以来、江戸・京都・大阪ほかに出店を設け、一貫して本店は、本家のある地を拠点に商いを展開してきました。また、他の近江商人同様、奉公人たちを近江国から採用するなど、西川家は出身地との関わりを非常に重視していました。商業活動が、「売り手」(西川家と奉公人たち)、「買い手」(顧客)、「世間」(湿疹地と進出した商圏)、それぞれの利益につながるという伝統的な「三方よし」の理念を具現化したといえるでしょう。西川家と地域、従業員との関係を示す史料を紹介しています。

   ■三ツ割銀預り帳  1874(明治7)年
   奉公人に純利益の3分の1を配分する三ツ割銀制度に関する帳面。奉公人に配当する金額を書き上げています。
   また、帳面のはじめに11代目甚五郎が、その制度が1789(寛政元)年から運用されていたこと、その後配当
   を本店が管理したことを記しています。三ツ割銀預り帳は江戸期のものが存在しないため、この史料は貴重な
   ものです。

第4章 貴重史料展示

 西川家には数多くの貴重な古文書類だけでなく、西川家本宅で使用された調度品、屋根瓦などの物品も残されています。これらを定期的に入れ替えて紹介していきます。